「その人たちはみんなどうやって時間を見つけているんでしょう?」と言った。それが彼女の疑問だったのだ。それで言ってやった。「テレビで働く人は誰もその質問をしませんね。その時間がどこから来るのかはご存じでしょう。それはあなた方が50年間覆い隠してきた思考の余剰からくるのです」
では、この余剰はどれほどの大きさのものなのだろう? Wikipediaを単位として考えてみよう。Wikipediaプロジェクトの全体、そのすべてのページ、すべて編集、すべての議論のページ、すべてのコード、すべての言語バージョンを合わせると、それは1億時間に上る人間の思考の集積になる。私はIBMのマーチン・ワッテンバーグといっしょにこの数字を出した。おおざっぱな計算だが、オーダーは合っていると思う。1億時間の思考だ。
ではテレビの視聴はどうだろう? こちらはアメリカだけで毎年2000億時間になる。いまやちょうどいい単位があるので、これを言い換えてみると、テレビを見ることに毎年2000 Wikipediaプロジェクトが費やされているのだ。もうちょっと違った言い方をすると、アメリカで毎週末にコマーシャルを見るのに費やされる時間は1億時間になる。これはすごく大きな余剰だ。Wikipediaのようなものを見て「どうやってそんな時間を見つけているの?」と聞く人は、この資産を少しばかり切り出して、ティム・オライリーが参加のアーキテクチャと呼ぶところのものへと引き込んだWikipediaプロジェクトの全体が、どれほど小さなものなのか理解していないのだ。
ジン、テレビ、社会的余剰 (via yaruo) (via tessar) (via joker1007) (via aokie) (via jinon) (via skikuchi) (via jinon) (via sakito) (via yoosee)